こんばんは!

まったりフライデー(言いたいだけ)と言うことで、突然ですが…

ナリタブライアン最強説・最強馬だーってことを競馬始めた直後からずーっと思っていたことを改めて考えると「競馬の基本」が出来ていたからナリタブライアンは強かった…となりました。

 

まあ、ラップとかよく分からないので私見ですが(苦笑)

暇つぶしとしてお付き合い頂けますと幸いです。

スポンサーリンク


ナリタブライアン最強説

私が競馬を(まともに)見始めたた時、1996年秋の時点でナリタブライアンは最後の出走となった1996年5月の高松宮記念を終えており引退。

競馬を始める前から「ナリタブライアン」という馬名は何となく聞いたことがありましたが(全くナリタブライアンが最強説なんて考えたこともなく)、テレビを通してダンスインザダークが菊花賞をサクッと差し切ったり、ヒシアマゾンがエリザベス女王杯で降着したり…の刺激が強くあまり調べたりはしていませんでした。

 

当時インターネットなんて身近になかったですしね。

その年、1996年の有馬記念。

サクラローレルが有馬記念を力強く制し「カッコイイ」と感動していた中、フジテレビの競馬中継の中で1996年のベストレースという特集で10レース(だったかな?)ランキングを出していました。

 

記憶の限りだと出演していた大川慶次郎さんは「今のレース(有馬記念)が一番」と編集泣かせだったかも知れないですね(苦笑)私も、実際そう思っていましたし。

その時のランキングに入っていたレース全ては覚えていませんが、

エアグルーヴのオークス(確か武豊騎手の連敗記録が止まったとかコメントあった様な…)
サクラローレルの天皇賞春、フサイチコンコルドの驚きのダービー、スーパースピード対決フラワーパーク1cm差のスプリンターズS。

などがランクインしていたと記憶しています。当然の様にG1が上位を占めているなか…

 

1位/阪神大賞典(G2)

と出て、当時の「走っているナリタブライアンを知らない」私は、え?なんでG2が?と思ったの…

で、
す、
が、


杉本さんの自由すぎる実況好き。

 

これ見たら年度代表馬(ナリタブライアンVSマヤノトップガン)の戦い、3着以下大きく引き離す、黒い馬体…

一気に私の中で「ナリタブライアン最強説・最強馬!」一色になりました。

その後の行動は分かりやすくてナリタブライアンが引退後発売されたビデオテープ(当時DVDなんてないですからね)を購入。

擦り切れる位みました。

 

朝日杯3歳S(今の表記で2歳、以下同)を7戦目で勝利するという酷使っぷりは今では(強い馬としては)考えられないですし、デビューから3戦連続で1200mを使うなんて(苦笑)やはり今とは違いますよね。
(いくら適性見えないデビュー直後でも兄ビワハヤヒデを見れば…)

皐月賞3馬身半、日本ダービー5馬身、菊花賞7馬身。

走るたびに着差を広げ、そのまま有馬記念を4歳で制すなんて!!ナリタブライアン最強だー!!!

 

が、当時中学生の私の中にありました。

ですが…

スポンサーリンク


ナリタブライアン最強馬と言わない人たち

ナリタブライアンは年が明けて阪神大賞典(1回目)を圧勝したのち故障。

秋に復帰するも、天皇賞秋12着、ジャパンカップ6着、有馬記念4着と精彩を欠きます。

たぶん…今の私なら当時ナリタブライアン最強説を否定していた人の言う事分かる気がします。

 

「ナリタブライアン以外が弱い世代だった」

 

ディープインパクトが3冠を制した時にも言われたことですし、確かにディープインパクトとオルフェーヴルが同じ世代だったら?と言いたくなるのも分かります。

まだまだ純粋な私は、ナリタブライアンが最強馬であることを否定したくなく(サクラローレルの有馬記念は本当に強かったと思いましたが)…

で、そのモヤモヤを吹っ飛ばしたレースが先の阪神大賞典のマッチレースでした。

 

その後は、天皇賞春で前走マッチレースをしたマヤノトップガンが沈み6個目のG1か?と思ったところにサクラが満開!サクラローレル!(杉本さんの実況好き)

そして、その後「1200m」の高松宮記念に電撃参戦。3200m⇒1200mでもう何がなんだか分け分からない使い方され4着。
(いや…逆にスプリンターもっと頑張れよ!!ですが)

で、屈腱炎で引退。

 

タラレバですが5歳(今の4歳)阪神大賞典圧勝後、ケガが無ければどうなっていたのか?更なる成長も?と期待したくなってしまいますよね。

ナリタブライアンの強さ(最強馬かどうかは結局条件次第ですが笑)の理由は脚をしっかりと使えることだと思います。

ただ、「ディープインパクトの様なキレる脚」ではなく、どちらかというとオルフェーヴルの様な「しっかりとした脚」でしょうか。

 

デビューから1回目の阪神大賞典まで15戦で上がり最速が12回、2位が1回(皐月賞)、3位が1回(京都新聞杯:2着)。

ただし、上がり3ハロン33秒台は1回だけです。

今の時代上がり偏重=スローからの瞬発力勝負がメインですが、ナリタブライアンは…

先行or中段で競馬をして4コーナーでま前を捉えるようなレースをしていました。そこから良い脚を使えているので成績も安定していたのだと思います。

昨今の最後方から上がり最速33.1秒使ったけど4着まででしたー、みたいな言い訳が全くいらないレースぶりですよね。

 

届く位置で、またその機動力で一気に後ろを突き放せる位置で競馬をしていた、競馬の基本のキを自身の強さを使って示していたような気がします。

(大川慶次郎さんは共同通信杯で4角、ちょっと目を離したスキにベストポジションにいたまさに機動性をナリタブライアンの強みにあげていました。)

最強説、最強馬はコース、条件、馬場、そして私たち個人の思い出含めて決まるものだと思います。

↑数年前JRAが企画、作成したこの動画には興奮しました。

そう、誰が最強馬なんてどうでも良いのです!ただただ、目の前のレースがよいものになれば!!

と、いったお話でした。

競馬って100人いれば100人の楽しみ方あるから面白いですね!!!

と、いうことでサラリーマンの皆様、今日は2017年度末ですね。お疲れ様でした!!

また競馬楽しんでいきましょう( `ー´)ノ

スポンサーリンク