エリモダンディーとシルクジャスティス、私が初めて1年を通して競馬を見た年のクラシック世代、1997年のクラシック世代の2頭です。

今週、日経新春杯が行われるので触れておかねばと思い今日はエリモダンディーとシルクジャスティス、2頭の追い込み馬について結構知らない人も多いエピソードに触れてみようと思います。

 

と言うことで、こんばんは!

いつもと違うテイストでスタートしましたが、間違いなくいつもご覧頂いているブログです(たぶん)。

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私とエリモダンディーとの出会い(会っちゃいないが)

先の通り私が「年間を通して」競馬を見たのはエリモダンディー&シルクジャスティスが走った97年世代。

キョウエイマーチが「圧逃」で桜花賞を制し、メジロドーベルが2冠。

サニーブライアンが皐月賞・ダービーを制し、大西騎手の名言「1番人気はいらない、1着が欲しい」が生まれた世代。

(サイレンススズカもこの世代)

 

その中で「地味」と言われようとなんだろうと大好きな馬エリモダンディー。そして「同じ厩舎(大久保正陽厩舎)」のシルクジャスティス。

世間一般的には有馬記念を制したシルクジャスティスの方が有名なのは仕方のないところ。

ちなみに、大久保正陽厩舎の代表馬はナリタブライアン。

 

当時は、サンデーサイレンス、ブライアンズタイム、トニービンの時代。そしてひときわ「ブライアンズタイム」産駒が活躍をしていた時代でした。

そう、エリモダンディーもシルクジャスティスも父ブライアンズタイム。皐月賞・ダービーを制したサニーブライアンもブライアンズタイム産駒。

私がエリモダンディーを強く意識するようになったのは日本ダービーでした。

 

サニーブライアンの2冠で心が潤っている中、僚馬シルクジャスティスが2着に突っ込んだレースでそのシルクジャスティスより後ろ、最後方にいたエリモダンディーが気づけば4着にいました。

「え?どこからきたの?」

多くの方が逃げるサニーブライアン、外から追い込む1番人気のメジロブライトとシルクジャスティスに目がいっている中、馬群をスルスル、小さな体で抜けてきた馬がエリモダンディーでした。(ダービー時414キロ)。

ここからエリモダンディーに注目するようになりました。

 

エリモダンディーは皐月賞・ダービーと河北通騎手が騎乗。残念ながら河北騎手はエリモダンディーで勝利を挙げることが出来ませんでしたが、エリモダンディー重賞の1つでも勝てていたら騎手人生も変わっていたかも知れません。

たぶん…

 

日本ダービーの後、札幌のタイムス杯で以前騎乗していた松永幹夫騎手が乗って7着に敗れた後、河北騎手にまたチャンスが訪れました。

しかし、京都新聞杯5着、菊花賞10着と結果はです。適正外の距離もあったかも知れませんが残念な結果でした。

その後、京阪杯で武豊騎手に乗り替わり…重賞勝利!

「やっぱり騎手」と当時中学生の私は思ったのでした。今も…デムルメ、モレ、カワタ、、、騎手で馬が変わると思います。

 

京都金杯(当時2000m)は2着に敗れるものの、勝ったのは先行・中段に着けていたミッドナイドベッド。今にも通じますが追い込み馬の宿命。前が良い脚を使えば届かない、も当時学んだ気がします。

たぶん…

 

そしてようやく、日経新春杯。

我が(?)エリモダンディーは定位置の最後方でレースをし(レースを組み立てるとは書けないのが追い込み馬)、若かりし私は、「もたもたしているとまた届かないぞ!!」と画面の向こうのユタカさんに指示(テレパシー)を出していました。

テレパシーなんて届かねーーー!!

 

でも、私のテレパシーは届きませんが、エリモダンディーは届きました。

上がり次点の馬より1.1秒速い上がり3ハロンの末脚。ズッキューーーン(語彙が…)と言った切れ味で画面のコチラ側でトリハダでした。

そんな余韻にずーっと浸っていた……かったのですが、
武豊騎手が下馬。

骨折。

 

全治9か月の怪我……だけだったら良かったのですが、、、

骨折療養中に腸捻転でこの世を去りました。

 

とても繊細な馬でストレスが溜まり病気が…とも言われているようですね。

アレ?シルクジャスティス出てきてないぞ??って思いました??忘れていたわけでは有りません。ただエリモダンディー愛が強かっただけで、エリモダンディーにフォーカスしたかっただけです。

最後にエリモダンディーとシルクジャスティスのエピソードを。

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エリモダンディーとシルクジャスティス馬にだって友情はある!

ここからは当時の記憶もちょいと曖昧で調べながらになっていましが、同じ厩舎で同い年のエリモダンディーとシルクジャスティス。

入厩当時は370キロ程度しかなかった(鞍をつけても)エリモダンディー。
厩舎の人は1歳馬(当時は2歳と表記)馬かと思うくらいの線の細さだったらしいです。

でも、人間に従順、ひとなつっこく愛くるしいエリモダンディー。

 

対して、完全に「オレオレ」で人の言うことをまーったく聞かないシルクジャスティス。
気性×。性格×。調教致しません。暴れたら止まらない問題児な馬。

当然の様に、体の小さいエリモダンディーは他の馬にイジメられ(威嚇され)萎縮していたらしい。ってことは「オレ様ジャスティス」がボスとなってイジメ??

 

と考えたくなりますが、なんとそんなエリモダンディーを守って他の馬に「は?オマエラ、オレのダチに何してくれてんの?やるの?やっちゃうの?ゴルァァーーー!」と言ったかどうかは知りませんが、とにかく守ったそうです。

これで、エリモダンディーはシルクジャスティスにべったりとなっていった(らしい)。

 

調教でまーーったく言うこと聞かないシルクジャスティスですが、エリモダンディーと一緒だとなぜかちゃんと走ることが多く良い関係が続いていたようです。

タイミングとしてはエリモダンディーが10着に、シルクジャスティスが5着に負けた菊花賞の後から一緒にやるようになったとか。ちゃんとシルクジャスティスが動くには?で仲の良いエリモダンディーに白羽の矢が!だとか。

馬にも友情があるって思いたい!!

だって、、、ちゃんと言うこと聞いて調教した結果、シルクジャスティスが有馬記念を勝ったなんていったら素敵じゃないですか!!

でも、ですよ。

仲良しこよしのエリモダンディーが亡くなってしまい。。。

この話が本当だって信じたくなるのは、この後シルクジャスティスは1勝もすることなく引退。ちゃんと調教をまじめにする原動力であったエリモダンディーがいなくなり??

と、ちょっと考えたくなりませんか??

寒い季節にほんのりと暖かくなるエピソード。エリモダンディーとシルクジャスティスの話。実際は分かりませんがそうであって欲しいお話。

 

日経新春杯の季節になると思い出します。

今年も、全頭無事に走り切って良いレースになることを切に願うばかりです^^

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